タイ教育の様々な格差について

 

 2004年からタイに住んでいますが、タイ人と日本人では明らかに考え方も能力も違うように感じていてとても不思議でした。それが、子供が生まれ、タイの教育機関を知るようになって、何となく納得してきたことがあります。今回はまず、教育における格差について書こうと思います。

 

大学生の経済格差

 私が以前教えていた某工科大学で私が一番びっくりしたのは、あるインテリアデザイン学科2年生の最終プレゼンテーションの審査に行った時のことです。グループプロジェクトで小さな空間を設計するのが課題でした。で、最終プレゼンテーションの必須提出物に実物大のモックアップでして…

実物大って…めっちゃ金かかるやん…

大学が材料支給ならまだしも、全部生徒負担で、まずそこにびっくり。各グループの作品を見ながら審査を進めるうちに“これは私には評価出来なーい!”と思って。というのは、あるグループは皆でお金を出し合って、皆で協力して作った作品で。ちょっとディテールがお粗末なので聞くとお金が足りなくてそうなったと。そしてあるグループはそれはすばらしい作品を作ってて。よくよく聞くとそのグループの中の1人が建設会社のご令嬢で、10万バーツかそこらで大工を雇って全部作らせたそうで。これらを同じ土俵の上で評価するのはどうかと。結果、10万バーツ掛けた作品がAをとったのよ。すべて外注だとしてもデザインプロセスが良かったと…

いやいやまって…

自分でつくらんでえんやったら思いっきりデザインするよ。…学生も馬鹿じゃないので、自分たちの経済能力や技術で出来ないものはデザインしないですよ。そこはコントロールが働いてデザインに大きく影響するのは当然の話です。一方お金も技術も考える必要ない人達はフリーに想像力を働かせて思いっきりデザインできますよね。日本は公平平等が基本だからこんなことあったら問題になるだろうなあと。これがタイだと他の日本人講師は言ってましたが…いまだに私は納得いかない。

でも不思議と生徒は文句を言わないですね。これが世の常だと納得してる感じに見えました。格差が無い社会を経験したことの無い子供たちは、“あのグループは金持ちの子がいてラッキーだったね”という感じで何事も無いようにスルーしてますね。半分諦めというか、すべてを受け入れるというか、これが仏教の力か?と思います。いさぎよいといえばそうなんですが、もうちょっと頑張れよーと思いますが、頑張ったって報われない社会だと誰が頑張るんだってなりますよね。

 

寄付金というパスポート

 寄付金はすごいって聞きますね。友達はチュラで教授やってるので彼の子供はチュラ大付属小学校へ面接のみで入れます。その枠が全体の約1/3、他の1/3は頑張って試験で勝ち抜いた者たち、残りの1/3は寄付金で入学権利を得た子供たちだそうです。私が彼と話したのがすでに2年ほど前なのでその当時の最高寄付金学が確か4.5MBだったと思います。史上最高値だったそうです。それでチュラ大学までエスカレート式に行けるならと親も必死です。このようにスタート地点から不平等ですから。でも成績とかはさすがに平等なのかな?寄付金による?それはないか…

 

教師の雇用格差

同じ教師でも外国人とタイ人では給料がかなり違います。いくらタイ人のほうが優れたバックグラウンドでも、能力が高ても、仕事量が多くてもです。

タイ人だけではありません。娘の学校のENGLISH PROGRAMの先生は、ここから先は説明会で聞いたとおりに書きますと、“メインで教えるのは西洋人(ファラン)の先生です。フィリピン人の先生は補助のポジションです”。結果、大学出たての刺青だらけピヤスだらけの西洋人の先生がメインで教えて、経験豊かなベテランフィリピン人先生は補助役という不思議な現場になってます。聞くところによると、フィリピン人先生は給料安いみたいです。本当に能力のある先生に適切なポジション、報酬は行ってないですね。そういうのは教育の質に響いてくると思います。

 

能力格差

出来ない子に焦点を置いた教育では無いですね。出来る子だけが生き残れる。教科書も決して分かりやすい、楽しいものではないです。パット見ると日本の中学校の教科書みたいです。こういう教科書をじっと読んで覚えられる子供だけがテストで良い点を取ってかしこくなっていく。覚えられない子はおいて行かれる…って感じですね。そこから能力の2極化が進みます。したがって日本の様に、一様に基礎能力がある社会ではないです。

 

 タイに住みだして、どうしてタイ人てこうなんだろうかと思ってきたことが、子供のタイの学校を見ていくと、段々と理解できるようになりました。

次回は、授業内容について話したいと思います。